超高齢社会の日本、老年看護学「ありがとう」高齢者の笑顔を創る
100歳以上の高齢者が今や約7万人という、超高齢社会の日本。
統計上は、日本の全世帯の半分近くには、65歳以上の高齢者がいるとされています。また75歳以上の高齢者のうち、1/3が要支援または要介護といわれ、家族や介護者などの助けを必要とする方が、3人に1人はいらっしゃるという現状です。
私は以前、看護学生に*老年看護学を教えていました。高齢者の心身の状態、かかりやすい病気やケア、高齢者を取り巻く社会のしくみなどについての学問です。
今回は、高齢者との生活について、老年看護学の視点からお伝えします。
あなたの周りのお年寄りは、どんなところが素敵ですか
人は、ともすると無意識に物事に対して偏った見方をしていることがあります。
例えば高齢者について、こんなふうに思っていることはありませんか。
・高齢者は頑固だ。
・高齢者は動きがゆっくりしている。
・高齢者だから、体力や運動機能が著しく低下している。
・高齢者は忘れっぽい。
この視点は、確かに高齢者の特徴を表していますが、一人ひとりに目を向けると、必ずしもそうであるとは言い切れないです。
ある人には当てはまるのですが、そうではない人も多くいます。ですから、十把一絡げにして評価することは危険なのです。
あなたの身近にいるお年寄りを思い出してみて下さい。
普通の音量で話しても、不自由なく会話できる方もいますし、昔は頑固でしたが歳を重ねるごとに丸くなってきた方もいます。マラソンやヨガなどを元気になさっている方も、近頃では珍しくありません。ついさっきのことは忘れることが多くなっても、洞察力の深さや、豊かな知恵は若いものにはまだまだ負けません。
つまり、それぞれの高齢者の個性に、フォーカスして見てくださいということです。
歳だから…。それだけで、周りのお年寄りの素晴らしさを見失ってはいないでしょうか。
しわに刻まれた小さな輝きに、ぜひ目を向けてみてください。
そして、もっと話してみてください。素敵で豊かな人生の先輩の存在を感じとれるはずです。
好きなことを大事にして、活き活き生活
各自がこだわっていることや、好きで熱中していること。実はそこにその方の信念や価値観が存在しているのです。
80歳になる私の母は、ビーズ細工が大好きです。
老眼鏡をかけずに、キーホルダーや装飾品を作っているのですが、おかげですっかり背中が曲がってしまいました。けれども彼女の創作意欲は尽きません。指先を起用に使って細かなことを丹念にやることや、アイデアを生かして何かを創り上げることは、何よりの楽しみです。
そして自分の作品を孫や友人が喜んで使ってくれると、本当に嬉しそうにしています。
一方、84歳の父はといえば、ボランティアとして新聞記事をパソコンで点訳することを日課にしています。
文章は読むのも書くのも好きな父ならではの過ごし方です。元々山登りを趣味にしていましたが、体力の衰えや心臓疾患もあるため、今はお散歩程度。それでも、点訳を続け、またそれを心待ちにしている方から届くメッセージに、元気をもらっています。
2人を見ていると、好きなことに熱中することで、日々の生活が豊かになるのだと感じます。
ついつい、足腰が弱くなっているお年寄りを見ると、危ないからやめて…といいたくなるのですが、できるだけお好きなことを大事にしてもらえるようにしましょう。
そしてご家族もそんなお年寄りの存在を誇らしく思うことが、お年寄りの元気を引き出す秘訣です。
ありがとうでお年寄りを元気に
このように紹介すると、趣味を持っている人はうらやましい…なんで声が聴こえてきそうです。
母の創作意欲は、もとより手芸や創作そのものが好きだからというところが大きいのですが、同時に作品を誰かにほめてもらう、喜んでもらうこともエネルギーになっています。
私たちは、乳幼児に対しては、1つ1つできるところが増える度、たとえおぼつかなくても、応援したり、温かな気持ちで見守ったり、ともに喜ぶことができます。
けれども高齢者に対しては、不思議とその方の「できるところ」ではなく、「できなくなってしまった」部分に目を向けがちです。確かにそれ自体は高齢者を危険から守るうえで大事なことであることはそうなんですが、一人一人の存在を認めることや、当たり前かもしれないですが、毎日やっていることへの感謝の気持ちを伝えていただきたいのです。
小さなことや、当たり前のことに対して、「いいなぁ」と思うことや、感謝の気持ちを持つこと…。
実はそう簡単ではありません。
見逃してしまったり、当たり前すぎて自然にやり過ごしてしまったり。
例えば、あなたが今日、家族のために食事を作ったこと。会社で自分が任された業務を滞りなく終わらせて、家路につけたこと。カフェで飲んだ一杯のコーヒーは、実は遠い外国で誰かが額に汗して収穫し、多くの人々と時間を経た結果、今、美味しく飲めているという事実。
そんないつもの日常の中に沢山ちりばめられている物事の存在を、心からいいなと思ったり、誰かにあるいは自分で頑張ったなとほめることができたり、感謝したりというイメージをぜひ描いてみてください。嬉しくなりませんか。温かな気持ちになりませんか。
老年期は喪失の時代と言われます。日々、色々なモノを失っていきます。耳が聞こえにくくなったり、目がかすんだり、早く歩くという機能が衰えていったり。一度にいくつかのことを同時進行でこなすことができにくくなったり。仲良しの幼馴染や愛するパートナーとの別れ。自分と同世代の著名人たちが次々と天国に召されていくこと…など、日々が失うもので埋め尽くされていきます。
そんな毎日を、自分だったらと考えてみてください。
これまで、両手でいっぱい抱えてきたものが、ぽろぽろと砂山が崩れるように、指の間からこぼれて落ちていくその感覚。
そんな気持ちを支えてくれるのは、家族からのありがとうだったり、「お婆ちゃんこれ上手だね~」、「おじいちゃんの手は大きいね」みたいな、一言一言なのです。
例え、介護されることの多いおじいちゃんであっても、彼が、唯一無二の人生の中で、家族を作り、次世代に伝えてきたことは数知れません。
彼がいなければ、今の家族は存在しないのです。