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仮名文学の時代に記された「おもてなし」

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仮名文学の時代に記された「おもてなし」

仮名文学の時代に記された「おもてなし」

1.1000年前から存在する「もてなし」

日本人なら誰もが知っている言葉「おもてなし」ですが、この言葉は一体いつ頃から使われているのかご存知でしょうか?

「おもてなし」とは、「もてなし」という名詞に、丁寧さを表す「お」をつけたものということはご存知の方も少なくないのではないでしょうか。

「おもてなし」という言葉の根幹である、「もてなし」の起源を辿っていくと、紀元1,000年頃(平安時代中後期)の記録が文字として残されている最古のものと言われています。この時代は、それまでの唐の影響を強く受けた文化から、国風文化と言われる日本独自の文化が発展した時代。仮名文学が盛んになった時代でもあります。そのような時期の代表的作品である『源氏物語』と『枕草子』には、「もてなし」という言葉がすでに登場しているのです。

それぞれどのような場面でどのような意味合いで使われていたのか見てみましょう。

2.「おもてなし」の登場①―源氏物語

1008年に記された『源氏物語』では、物語の冒頭部分からさっそく「もてなし」という言葉が登場します。

 

<原文> 『桐壺』第1章

父の大納言は亡くなりて、母北の方なむ古の人の由あるにて、親うち具し、さしあたりて世のおぼえ華やかなる御方々にもいたう劣らず、なにごとの儀式をももてなし給れけれど、とりたててはばかしき後ろ見しなければ、事ある時は、なお拠り所なく心細げなり。

<訳>

(帝の寵を独占していることから皆に妬まれている女性『桐壺』の) 父の大納言はなくなっているが、母親は由緒ある家の人で教養もあり、またその両親も揃っている。(桐壺は)身分の高い人々にも見劣りしたりひけを取ることのないよう、どんな儀式もしっかりと取り計らったが、これといった後ろ盾がないので、いざという時には頼るあてがなく心細そうな様子である。

 

作者の紫式部が、宮中に仕えていた頃に書かれた源氏物語。この宮仕えとはどのようなものであったかを、源氏物語研究で著名な国文学者池田亀鑑が記した『平安町の生活と文学』から窺い知ることができます。

 

・午前6時、掃除をはじめ、御殿の格子をあげ、調度を整頓し、寝具を敷き直し、簾をあげます。

・午前8時、中宮に御湯のあつさ、ぬるさを探り、差し上げます。

中宮に、湯帷子(浴衣)を着させていただき、邪気払いの弓の弦を手で弾き鳴らし、中宮が手や顔を洗われたり、入浴される間、奉仕します。そして、中宮に直衣をお着せし、伊勢の皇大神宮の御拝のお世話をします。

・中宮の朝食を準備し、昼12時に御膳の作法を行います。

・夜、灯火を持って、所々の燈籠に灯をともします。

・午後10時、御格子を下ろし、簾をたれ、ついたてをたてます。

中宮が、夜の御殿に入御された後も、夜の御殿のさし油をして、終夜灯火の消えぬようにします。

 

このように宮仕えする女性たちは、中宮(天皇の妃)の食事や衣類のお世話・住居の掃除などの衛生管理・調度品の手入れ・燈火や薪炭の管理等様々な身の回りのことにまつわる奉仕を仕事としていました。さらにこれらのような日常のルーティーン以外に、年賀のお祝いや望粥の節句など40以上にわたる年中行事、平成から令和への皇位継承でわたしたちの記憶にも新しい『大嘗祭(だいじょうさい)』のような臨時の行事の際のお世話も担っていました。

 

「おもてなし」の登場①―源氏物語

源氏物語『桐壺』に登場する「もてなし」は、さまざまな儀式をしっかりと「取り計らった」という意味で使われています。平安時代の女性たちは、日常の家政から特別な行事でのおつとめまで多岐にわたる業務を、粗相のないようにと神経を張り詰めさせながら、うまく「取り計らって」いたのではないでしょうか。現代でも「もてなし」という言葉には「とりはからう」という意味が含まれています。

平安時代は女性の感性が大切にされた時代と言われますが、家政や行事での「もてなし」にも女性たちの趣味や嗜好が色濃く反映されていたのでは・・・と想像することができます。

ではもうひとつ、「もてなし」という言葉が使われた最古の記録のひとつである『枕草子』をみてみましょう。

3.「おもてなし」の登場②―枕草子

1008年に成立されたといわれる『源氏物語』より少し早い1002年には完成していたといわれる『枕草子』では、「もてなし」はこのように記されています。

 

<原文>(枕草子 84段 )
めでたきもの 

唐錦(からにしき)。飾り太刀(かざりたち)。作り仏のもくゑ。色あひ深く花房長く咲きたる藤の花、松にかかりたる。
六位の蔵人(くらうど)。いみじき君たちなれどえしも着給はぬ綾織物を、心にまかせて着たる青色姿などの、いとめでたきなり。所の雑色(ところのぞうしき)、ただの人の子どもなどにて、殿原(とのばら)の侍に、四位、五位の司あるが下にうち居て、何とも見えぬに、蔵人になりぬれば、えも言はずぞあさましきや。宣旨(せんじ)など持てまゐり、大饗(だいきょう)のをりの甘栗の使などに参りたる、もてなし、やむごとながり給へるさまは、いづこなりし天降り人ならむとこそ見ゆれ

 

<訳>
すばらしいもの

唐錦(からにしき)。飾り太刀。作り仏のもくえ。色合いに深みがあって、花房の長い藤の花が松にかかっている景色。 
六位の蔵人(くらうど)。高貴な貴公子たちでもなかなか着ることができない綾織物を自由に着ている姿など、非常に素晴らしい。下級の職員が、並の身分に過ぎない人の子弟で、立派な身分の方に仕える侍として、四位や五位の官職に就いた人の下位で畏まっていて、何ともないような者が、六位の蔵人になってしまえば、何とも言えないほどのあきれる派手な服装である。宣旨などを持って参上したり、大饗の時の甘栗の使いなどで参上したのを、もてなして、高貴な人に対応するように接する様子は、どこからやってきた天下り人なのだろうと見えるほどである。 

 

長い文章ですが、清少納言はこの一節の中で、「六位蔵人(ろくいのくらうど)」(今でいうと天皇の身の回りのお世話をする秘書的な存在)の「もてなし」がすばらしいものであると記しているのです。天皇の御姿を暖簾の向こうにしか拝見することができなかった時代、側近中の側近として接していた六位蔵人の「もてなし」は一線を画していたようです。

この「もてなし」とは具体的にどのようなものであったのでしょうか。天皇の秘書機関である「蔵人所」の職務には以下のようなものがありました。

 

・天皇の身の回りの世話

・宮中の雑務 (警備、物資の調達・管理、儀式や宴会の催行など)

・天皇と参議のやりとりの取り次ぎ

・文書事務 (機密文書を含む文書の作成、整理保管)

 

この蔵人所の実質的な長であった藤原行成が残した日記『権記』を読むと、一条天皇と行政の最高指導者である藤原道長の間の調整役として日々奔走していた様子がうかがえます。政権を巡る権謀術数が横行していた時代、各方面に注意を行き届かせ「もてなし」していたことでしょう。

 

「おもてなし」の登場②―枕草子

4.「おもてなし」の変わらない姿

さて、今回は「おもてなし」という言葉が文字として初めて登場した例を、日本の古典文学の代表作品の中からご紹介しました。

「おもてなし」の語源である「もてなし」は、大陸からの影響が薄れ日本固有の文化が醸成され始めた平安時代中後期の文学作品にみることができました。『源氏物語』の場合も『枕草子』の場合も、宮中で天皇や皇后に仕える人々が神経を行き届かせさまざまな執務をうまくとりおこなった様子をあらわす言葉として使われていました。文字として残されている最古の記録が約1,000年前のものであるならば、「もてなし」の精神自体はそれよりはるか以前から存在し、受け継がれてきたものではないかと想像することができます。

 

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